● 唇濡の吐息
・・・元気でね、おにいちゃん。


「康太へ

 最初にごめんね、突然だけどこの手紙が最後でこれからはしばらく書けそうにないや。
理由は何となく気が付いていたと思うんだけど、例のお父さんの借金のカタがついたので。
前の手紙に書いたでしょ?海徳さんって云う女の人の書類にハンコを押しちゃった話。

昨日、海徳さんがウチに来て、「お金が払えないなら大津さんの所で3年間働けば」って云ってくれました。何でも家政婦みたいな仕事なんだって。3年間、我慢して働くだけでチャラになるんなら、どうせ学校も行けないし、自分の中でもすっきりしたいからやる事にしました。

今日、この手紙を書いて、それから荷造りして、それで明日大津さんのお屋敷に行きます。お屋敷で働きながら手紙を送ることは性格的にムリだと思うし。康太と手紙でお喋りしていると、ツラい現実から逃げ出しそうになっちゃいそうで。ね、だから手紙来なくても心配しないでいいんだよ。どうせ康太は「心配なんかしねーってよ」って云いそうだけどさ。

また連絡取れるようになったら連絡します。
んじゃ元気でね。おにいちゃん。

みやび」

 4枚の便箋に書かれた、あまりにも短絡的で一方的な内容にオレはしばらく放心していた。大津と言えば「ローンズ大津」の大津に間違いないと思うが、少なくとも週刊誌や雑誌ではいい噂を聞く男ではないのは確かだ。店にあった週刊誌に「容赦の無い取り立てと某議員を巻き込んだ悪質な地上げやお年寄り相手の委託売買業務等、えげつないやり方で他社の追撃を許さず巨額の富を得た」と書いてあった事を思い出した。突然吐き気が込み上げて来る。頭も痛い。今朝の体調の悪さは風邪だったのか虫の知らせだったのかは定かでは無いけれど、雅が収まりつかない事態に陥っている事だけは現実として理解できた。

自分の意思とは関係無く震える手でなんとか煙草に火を点けて、まとまるはずの無い意識と思考を一本化する努力をする。自分のおぼろげな知識によれば親の借金は子の借金では無いが街金がそれでも身内を取り立てるのは良心を利用しているだけだ。だが雅は前回の手紙で新規に作成した借用書に判子を付いてしまっている。それは借金だ。しかも相手は海千山千の取り立てのプロだ。普通のやり方じゃ、チャラにすることすら至難の業だろう。じゃあ、オレは何も出来ないでグダグダしているしかないのか?

 数時間経った今、親父に「しばらく家を空ける。だから店は手伝えない」と言ったオレはまた親父と大喧嘩をやらかしている。
もしかしたら今日一番ツイていなかったのは親父だったかもしれない。



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